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THE Caboodle Ranch



http://www.caboodleranch.org/Index.html











http://www.zazzle.co.jp/caboodle+ranch+ギフト


 






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 何やら近頃の政治はきな臭い感じで、幾つか気になることがあるのだが、調べるのも面倒だし、此処で喚いた処でどうにか成るものでもないので、本日は楽しい話を。近頃多忙につき、暫くは更新が遅れるとは思ひますが、何卒ご宥恕のほどを。

 我が国のインターネツト・ニユースでも取り上げられた話題なので、ご存じの方も多いと思ふが、アメリカはフロリダ州に猫のお助けおじさんが居らつしやる。Craig Grantさんが広大な土地に捨て猫の楽園を造り始めたのは二〇〇三年のこと、それ以来、全米から捨て猫を引き取り続け、現在は五〇〇匹の猫を保護してゐる(トツプページには五〇〇匹と書いてあるが、たぶんもつと増えてゐると思ふ)。一人で始めたことだが、次第に人々の共感を呼び、現在では企業や個人から相当な寄付が集まつて、そのお金で運営されてゐる。捨て猫たちの楽園の名はCaboodle Ranch(「群れの放牧場」の意)で、動物愛護協会と動物管理局の認証を受けた非営利団体である。Grantさんの究極の望みは、遺棄動物を保護する施設が世界中に出来ることだと云ふ。以下は公式ホームページに掲載されてゐる自己紹介の翻訳。http://www.caboodleranch.org/Index.html

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 カブードル・ランチは二〇〇三年に設立されました。尤も、造らうと思つて造つた訳ではありません。その年に続いた不運な出来事が切つ掛けでした。これからお話する一人の男と一匹の猫の物語は本当にあつたことです。最初は決して仲良しとは言へなかつたのですが。

 海沿ひの寝室二つの賃貸マンシヨンで、私は息子と暮らして居りました。其処は自宅と同様の快適で便利な住処でした。良い家具もありましたし、少し歩けば海に出ることが出来、職場にも近かつたのです。その後、息子は初めて自立して引越して行つたのですが、ペツパーと云ふ名の猫を私に遺して行つたのです。転居先では猫を飼へないのでした。私は猫を好きではなかつたのですが、このことを承諾しました。私は一人でゐることに馴れて居りませんでしたし、恐らくペツパーも同じだつたと思ひます。私とペツパーは少しづつ仲良くなりました。二ケ月を過ぎた頃、ペツパーが妊娠してゐるのに気付きました。何てことだ。これからどうすれば良いのだ?ペツパーは五匹の子猫を産みました。私は何処かへ追ひ払ひたい気分でした。綺麗な家を荒らされたくなかつたのです。しかし息子は、子猫は八週の間、母親と一緒に居なくてはならないと言つて止めました。八週が過ぎて、猫のそれぞれに特徴のある個性があることを私は知りました。間もなく子猫たちはカーテンにぶら下がつて遊び始めました。私は構ひませんでした。何かが変はつたのです。子猫を手放したいとは思ひませんでした。

 しかし六匹の猫と暮らすやうになつて、家主や近所から苦情が入りました。何処か適当な場所を探さなくてはならないことを私はわかつてゐました。この近くでは猫たちは安全ではありませんでした。私の猫の一匹が、脇腹を空気銃で撃たれてゐるのを見付けました。別の猫は犬に噛まれてゐました。わざと放してあつたのです。何か手を打たねばなりませんでした。最初はどうしたら良いのかわからず、息子の土地に小屋を建て、暫く其処で暮らして居りました。その後新聞で、ある不動産業者の広告を見付けました。樹木農場用の五エーカー(約六〇〇〇坪)の土地でした。売り主が資金を融通する方式で、頭金も月々の支払ひも低廉でした。問題はジヤクソンビル(フロリダ州北東部の都市)の西方一〇〇マイル(約一六〇キロメーター)にあることです。現地に行つて見て、私は気に入りました。何ケ月後かに再び五エーカーを買ひました。結局二五エーカーを所有することになりました。

 私は一部分を更地にして、猫たちの保護用に移動式住宅を購入しました。猫の出入り口や歩行用の棚を造つてやりました。二〇〇三年の一一月、感謝祭の翌日に、私たちは其処に引越しました。その時には既に一一匹の猫と暮らしてをりました。自宅の近くや建築請負の仕事をする地域で、捨て猫や迷ひ猫を拾つてゐたのです。二〇〇四年の春には二二匹に増えてゐました。この土地に越して来て、自分用に丸太小屋を建てたのですが、大抵の猫は私の横で寝たがります。それで移動式住宅に戻つて部屋を増やしました。私はもはや古い家具を持つてゐません。贅沢な品も私にとつて重要ではなくなりました。猫たちは、私の人生で一番の幸せをくれました。本当に、これまでに得た最高の友人なのです。

 今ではカブードル・ランチは常設の避難所になつてゐます。此処では心ない人間によつて虐待された猫たちが保護されてゐます。保護された猫たち皆に悲しい物語があります。ある猫はもう少しで飢ゑて死ぬ処でした。ある猫は大怪我をして彷徨つてをりました。保護施設の中でも、何ケ月もの間、篭に入れられた猫たちを見て来ました。その中の幾らかも救つて来ました。猫たちがのびのびと歩き回れるやうにしたいのです。実際、カブードル・ランチではそのやうになつてゐます。私たちは原野の一〇〇エーカーの真中に居ます。猫たちが後をついて歩く道は、私が造つて手入れする自然の道です。木登りする設備も造りました。猫たちが隠れる地下室も自分で掘つたものです。すべての猫が不妊または去勢手術を受けてゐます。常に最新の投薬が行はれ、獣医師がすべての猫を定期的に診察してゐます。私は週に二五〇マイルを何度も見て回ります。猫たちがこの避難所で、安全に暮らせるやうにする為です。出費のそれぞれが私財なので、私自身はごく僅かなお金で何とか暮らしてゐます。そうやつて猫たちの幸せな生活を確保してゐますが、これは必ずしも容易なことではありません。猫たちは私たちの助けを必要としてゐます。どんな形であれ、寄付で助けて戴けるのなら、このサイトに設けた案内を使つて私に連絡を下されば幸ひです。

 時間を割いて戴いたこと、興味を持つて戴いたことに感謝しつつ。
        カブードル・ランチ設立者 クレイグ・グラント

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 現在のカブードル・ランチは三〇エーカー(約三六〇〇〇坪)もあるさうで、流石アメリカ、何ともスケールの大きな話である。Ranch(放牧場)の名は、「猫たちが自由に歩けるやうに」と云ふ想ひを込めて付けたのであらう。猫を引き取つて貰ふには一匹一五〇ドルの寄付が必要で、去勢・不妊手術と最新の投薬が行はれてゐることが条件になる。また、一度引き取られた猫は、終生カブードル・ランチの住人であることが保障され、譲渡されることはない。里親になりたいと云ふ申し出も多いさうだが、さうした方は、SPCA(動物虐待防止協会ーアメリカの最も歴史ある動物愛護団体。捜査権や逮捕権を持つ)や地方の動物管理局に問ひ合はせて、行き場のない猫を助けて欲しいと云ふのがグラントさんからのメツセージである。
 
 お金だけでなく、ペツトフードの寄付も有難いとのことだが、現在はボランテイアの募集を停止してゐるやうである。トラブルがあつたさうで、有給のスタツフがグラントさんを助けてゐる。尚、グラントさんが病に倒れたりした時の為に、既に後継者を育ててゐると云ふ。見学に訪れるのは大歓迎ださうで、フロリダに旅行される機会のある方は、大自然の中、猫たちと遊ぶ時を過ごされるのも楽しいかも知れません。グツズも販売してゐて、こちらは日本語のページもあるので、お気に召した方はどうぞ。http://www.zazzle.co.jp/caboodle+ranch+ギフト


 それでは動画を二つ。もつと見たい方はYou TubeでCaboodle Ranchを検索して見て下さい。グラントさんと猫たちに幸ひあれ。

 

 comments(2)
Art & Act





































 


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 何と一月以上も間を空けて仕舞つた。いつもご来訪戴く方々には誠に申し訳なくm(_ _)mこれも一重に、少子化と不況の影響で 自分の不徳の致す処でしてm(_ _)m鋭意借金を減らすべく 貯金を増やすべく努める所存ですので、どうか御宥恕のほどをm(_ _)m(小沢さんなら何とかしてくれたのかなあ・・・・・ブツブツ)と云ふ訳で満身創痍・瀕死の重傷の我が家計なのですが、先日更なる悲劇が。

 何と、愛機S5 Proが重傷を負い、入院した・・・( T∀T)

 去る八月、綺麗な水の印象を、と云ふことで、早月川上流の撮影地に赴いた。水だけで作画する方法も勿論あるが、今回はちよいとセクシー風味を入れて、モデルさんに来て戴くことになつた。撮影に先立つて色々な映像が心に浮かんだが、その一つに水中のシヨツトがあつた。

 今の処、デジタル一眼レフに水中カメラはない。しかしカメラを入れることの出来る水中ユニツトならある。現在の製品の方が便利ではあるだらうが、結構高い。私の手元には二十年ほども前に購入したものがあつて、ずつと使つてゐなかつたのだけれども、たぶんまだ大丈夫と云ふことで、S5を入れて撮ることにした。勿論事前にテストした。浸水はない。万が一の浸水があつてもS5 ProはNIKON D200ボデイである。防塵防滴の仕様が簡単に壊れるとは考へてゐなかつた。

 水上での撮影は快調に進んだ。続いて水中。間もなく水中ユニツトのレンズが曇つて仕舞う。激しい温度差の為だらう。当日は物凄い暑さだつたが、流れてゐるのはアルプスの雪融け水である。カメラとユニツトを冷やす為に暫く水に漬けておいた。すると・・・水中ユニツトの底に浸水が。急いで引き上げ、カメラを取り出した。底面から1cmくらゐが濡れてゐる。こんな時はすぐにバツテリーを取り出すのが良い。乾けば何事もなかつたやうに動作してくれることが多い。況して防塵防滴のD200ボデイである。私は楽観してゐて、予備のカメラで撮影を続けた。水中の映像はなくとも仕事に差し支へはない。

 帰宅して酷い目に遭はせて仕舞つた愛機に電源を入れる・・・点かない・・・とうに乾いてゐる筈なのだが・・・バツテリーが壊れたかな。別のバツテリーを入れて見る・・・矢張り駄目。本体が故障したらしい。悲しいと云ふよりも、意外さに呆気に取られた。ニコンのボデイの堅牢さは伝説になつてゐる。零下三十度の朝鮮戦争の現場のこと、報道のカメラは悉く凍り付いて動かなくなつて仕舞つてゐた。しかしニコン機だけは正確にシヤツターを切り続けてゐたのである。「ニコンFで釘が打てる」なんて冗談があつたくらゐだ。フイルムの時代、知人のニコン機が湖の底に沈んで仕舞ひ、地元のダイバーに引き上げて貰つたことがある。一日乾かしたら何事もなかつたやうに動作した。その時は改めて、日本光学に敬意を覚えたものである。デジタルカメラが如何に水に弱いとは云へ、真逆ニコンボデイがこれしきのことで故障するとは、予想だにしなかつた。

 ボデイはニコンでも、修理は当然のことながらフジになる。基盤の交換になるかな。五万円は覚悟しなくては。私は物持ちが良い方らしく、実はこれまでにカメラを壊した経験は二度しかない。一度目はマミヤの中判カメラで、フイルムマガジンの故障だつた。一万円一寸で直してくれた。二度目は大判用ニツコールレンズの絞りレバーで、この時は金沢のサービスセンターに持ち込んだ。その場で直してくれたばかりでなく、料金も取らなかつた。軽傷とは云へ、ニコンに対する信頼感を増したものである。しかし今回のS5は重傷である。フジの修理センターから電話が入つて、見積もりを出してくれた。案の定、五万円ほどだつた。バブル期ならいざ知らず、こんな時に限つてねえ。

 フジフイルムのホームページによれば、修理には凡そ一週間とある。往復の日数を入れてだから、かなり早い。しかし、持ち込まれるのはコンパクトタイプが圧倒的に多いであらうし、如何なフジと雖も、S5を分解修理出来る技術者はそんなにゐない筈である。実際にはもう少し掛かるだらう。それでも一ケ月か二ケ月を覚悟してゐた私には有難い。競争の厳しい世界でフジも大変だらうに、よくやつて下さる。取り敢へず、手元にはS2があるから、何とか仕事は出来る。尤も、テンポが必要な撮影には苦しい。

 フジのS2 Proは既に二世代前のカメラである。しかし発色の美しさは抜群で、ダイナミツクレンジも広い。移り変はりの激し過ぎる世界にも拘はらず、現行品に負けない描写が出来るカメラは余りない。取り分け肌色の美しさでは未だに他社のカメラは追いつけないと思ふ。女性の肌の柔らかさを表現出来るのはフジ機だけとさへ思ふ(美人に撮つて欲しい方は、フジ機を使つて貰ひませう)。S1、S2、S3、S5何れ劣らぬ美しい描写をするが、色の傾向はそれぞれ異なり、好みの問題になる。違ひは解像度と動作性能である。

 フジ機の画像が優れてゐることは、多くのカメラマンが認める処である。にも拘はらずその一眼レフを使ふ人が余りゐないのは、オートフオーカスの速度とか連射の速度とか、機械部分の性能による。確かにこの部分ではニコン機やキヤノン機に全然敵はない。フジはニコンにボデイの提供を受けてゐる訳だが、ボデイの性能についてニコンから条件をつけられてゐたらしい。S5を最後に一眼レフから撤退したのも、ボデイ提供の条件で折り合ひがつかなかつたからと聞く。実はニコンとフジは昔から仲の良い企業なのだが、デジタル関連機器の厳しい競争が両者の協働を妨げて仕舞つたのだらう。ユーザーとしての希望を言へば、NIKON D300FとD300Kを造つて戴けないものかね。云ふまでもなく、Fのセンサーはフジフイルム製で、Kはコダツク製である。昔と同じやうにフイルムを選びたい。

 色造りではフイルムメーカーが勝るのは当たり前のことで、カメラ本体はカメラメーカーに任せるのが理に適つてゐる。理想の取り合はせだと思ふのだがな。ライカのデジタルカメラは、機械がライカ、センサーがコダツクで理想的なのだけれども、お値段が理想から外れてゐる(T_T)

 尤も、フジフイルムにカメラボデイを造る技術がない訳ではない。中判のレンジフアインダー機などを造つてゐたし、フジノンレンズにも定評がある。それならば、ニコンにボデイの提供を受けられなくとも、レンジ式のデジタルを造れば良いのでは・・・・・などと考へてゐた処、何とFinepix X100が。http://finepix.com/x100/jp/index.html
こいつは驚いた。凄過ぎる。まともに私のツボを突いてゐて、あの世まで持つて行く予感。絶対に買ひます。発売の来年まで、借金を減らして貯金しておかねば。しかし、実はもう一つ、気になるカメラが。Foveonダイレクトイメージセンサー搭載のシグマSD1である。以前からSDシリーズが欲しかつたのだが、到々やつて下さつたと云ふスペツク。メーカーさん、頑張り過ぎ。幾らお金があつても足りん。

 話が大分逸れましてm(_ _)m 

 S5の入院から数日、どうにも空虚な感じが続く。手元にはS2が残つてゐる訳で、其の画像に文句はないのだが、実はこのカメラ、バツテリーを入れて手元に置いておくことが出来ない。電源をオンにしなくても、暫くすれば電力を使ひ果たして仕舞ふのである。コダツクのSLRもさうだが、使用後はすぐにバツテリーを抜いて、再び使ふ直前に入れる方法を取る。目の前で茜が可愛い顔してゐても、いちいちバツテリーを入れなくてはならない。デスク上の小物にインスピレーシヨンを覚えることもあるが、さう云ふ日常の光景を咄嗟に切り取ることは出来ない。重心が高いので、大抵のレンズでは前にのめつて倒れて仕舞ふ。だからデスク上に飾つて「うむ、美しい」などと一人ほくそ笑むのにも向かない。一寸困つた。                                   

 実はニコン機が欲しいと考へてもゐた。近頃、ポートレート撮影が増えてゐるからである。女性ポートレートならS5は最強の道具である。何しろ柔らかく美しく描写してくれる。フジで撮ると色の数が違ふ。しかし、デジタルの強みである、現場での画像確認には時間が掛かる。一枚25Mbあるしね。

 「試験撮影します」
 「カシャツ」
 「一寸待つて下さいねえ」
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      モニターに画像が表示される
 (背景の枝が一本邪魔かな。構図をずらすか)
    「少し右に寄つて貰へますか」
    「はい、そんな感じです。では撮りまーす」
    「カシャツ」
    「一寸待つて下さいねえ」
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    モニターに画像が表示される
    (ふむふむ、まあこんなもんかな)
    「では本番です」

 と、まあこんな感じである。静的なポートレートならこれでも良い。フイルムの時にはポラロイドで確認したりしてたから、もつと時間が掛かつたものである。しかし動きの中の一瞬の表情を切り取りたいこともある。さうでなくとも、時間を置くと光線状態が変はつて仕舞つて、イメージ通りの写真が撮れないことがある。

 尤も、RAWで撮るから極端に遅くなるので、Jpegで撮ればもう少し速い。それでもニコン機やキヤノン機のスピードには遠く及ばない。それにRAW撮影が染みついてゐる私には、その状況で望み得る最高の画質を出したいと云ふ気持ちが強い。もう一つ、S5は画素の半分をダイナミツクレンジを上げる為に使つてゐるので、近頃のカメラに比べると解像感が不足する。余り大きくは伸ばせない。しかしRAW撮影ならSilkypixの解像度プラスを使つて、かなり高い解像感が得られる。ダイナミツクレンジ拡張に使はれる画素を解像度に動員する技術で、A3くらゐなら全然問題ない。有難や、市川ソフトラボラトリー。しかし、勿論Jpeg撮影ではこんな芸当は出来ない。

 さう云ふ訳で、RAW撮影でもテンポの良いニコン機の購入を検討してゐた。その矢先のS5入院である。経済困難の折、修理費が掛かるのに、更にカメラ新調とは愚かな。しかし、S5の居ない我が家は丸で穴が開いたやう。撮影の気力も余り起きない。実は私は、S5の出してくれる画像ばかりでなく、デザインも気に入つてゐる。デジタル一眼レフの中で一番好きな外観である。D200と同じぢやないかと言ふなかれ。第一に、S5にはニコン機共通の赤い三角がない。可愛いD40ならいざ知らず、D200だのD3だのにはミスマツチだと私は思ふ訳である。第二に、S5正面のロゴは垂直に立つてゐる。日本光学は社名をニコンに変へてロゴを斜体にした訳だが、私は好きになれない。Fujifilmの真つ直ぐのロゴが美しいと思ふ。手にしつくり馴染む大きさも理想的で、主力として働いて貰ふのに相応しい。全くユーザーの好みも様々で、メーカーさんも大変なことだ。それにしても、S5の不在がこれ程撮影意欲を削ぐとは思はなかつた。矢張り一生手放せないな。

 S5不在の実務的心理的空白を埋める為に、今回購入を検討したのはD40からである。小さくて軽快に撮れるカメラが欲しかつた。それに恐しく古いレンズでも装着出来て、裏技でストロボ全速同調とは凄過ぎる。深みのある色調も美しいと思ふが、これは画素数を抑へてあるからだらう。おまけに安いと来ては、興味を持たない方がどうかしてる。しかしD40では、モーター内蔵レンズでないとオートフオーカスが効かない。じつくり撮るつもりなら一向に差し支へないが、今回は軽快に高速で撮れる機械を望んでゐる。S5の苦手分野を補ふカメラが欲しい。そこで、モーター内蔵でなくともAFが使へるニコン機と云ふと、最近の製品ではD80、D90、D300、D3、D700になる。APSサイズで選ぶと、残りはD80、D90、D300になる。小型軽量のカメラが欲しかつたので、D300は落ちる。印刷の都合上、長辺4000ピクセル以上欲しいことを考へると、結局D90しかない。目当ては案外簡単に決まつた。

 注文して翌日に届いたD90。ううむ、可愛い。このボデイなら赤い三角も宜しい。D40ほどではないにせよ、この小型軽量が有難い。肩に掛けてゐても存在を忘れて仕舞う。それ程軽い。ストラツプは例によつて、ちろりんさんhttp://www.chilolin.com/で求めたもの。撮影者には似合はぬ可愛い柄だが、カメラに合つてゐれば良いではないか。

 D90にはD300と同等のセンサーが搭載されてゐる。有難いことだ。出て来る画像は作例から想像した通り、私の好みの色調だった。ニコン機にも発色の変遷があつて、D1の世代は所謂忠実色だつた。いや忠実と云ふよりも、素材として扱ふのに適したニユートラルな色で、測光機としての性格が強かつた。一般的な言葉で言へば「地味」になるだらうが、素材としての画像を真面目に提供するのが如何にもニコンらしく、変はらぬ正統派のやり方に安堵したものである。次のD2の世代では、一般の売れ行きを意識したのか、少し派手になつた。D1ではRaw撮影が前提だつたと思ふが、D2世代ではJpeg撮影も考慮されてゐたと思ふ。赤みの強い発色で、私はD200を愛用してゐたけれども、好みの色ではなかつた。D3世代では青みがかつた色調に変わつてゐて、作例から自分の好きな色だと感じてゐた。ニコン機を欲しくなつたもう一つの理由である。

 実際に自分で撮つて見ると、被写体を肉眼で確認してゐるから、一層色の傾向が判る。シアンの強い透明感のある発色で、想像以上に自分の好みであつた。その昔、エクタクローム100プラスと云ふフイルムがあつて、このフイルムが私の一番のお気に入りだつた。シアン掛かつた濡れたやうな色調に、透明な空気感。D90の出してくれる色はこのエクタクロームに近い。色調の好みは人それぞれだが、今回のニコン様は私の方を向いて下さつた。

 先日我が家にお出で戴いた翁嫗。すつきりした印象を受ける表現だと思ふ。S5で撮るとデイテイルが出過ぎて仕舞つて、却つて難しくなる場合がある。D90のセンサーは上手に省略してゐる感じがする。

 クリスマスのイメージで撮影したもの。ニコン様ご自慢のアクテイブDライテイングだが、相当な効果がある。計測した訳ではないが、最大で前後三絞り分くらゐは広がつてゐると思ふ。尤もS5のダイナミツクレンジ400%には及ばない。一世代前のカメラなのだが。フジの色造りに改めて頭が下がる。

 矢張りこれを入れておきませんと。何しろフオーカスも速いし、画像の確認は撮影直後に可能である。

 「試験撮影します。パシヤ(画像表示)」
 「はい、では本番です」

くらゐの感じ。モデルさんをお待たせしない。この差は大きい。

 この運動能力を以て、いづれ暴れ猫でも写し留めてご覧に入れませう。さう云へば、D90は動画も撮れるのだつた。しかし被写界深度が浅いから、茜に関してはルミに任せる方が良さそうである。

 富山県護国神社での初陣。祈祷殿の御扉を開いてゐる処。動作のいちいちが速いので兎に角撮影が楽である。モニターも驚くほど見易い。ISO800での撮影だが、ピクセル等倍で見ても殆どノイズはない。ISO1600以上の高感度ノイズに関しては、S5を上回る性能だと思ふ。

 無事退院したS5 Proと共に。センサーのクリーニングはサービスでやつて下さつた。有難い。それにしてもよく似合ふ。絵造り重視のS5と動作に優れるD90。Art & Actと云ふ感じだな。余は満足である。
 

写真・カメラ comments(2)
極楽浄土






















 


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 二週以上も空けて仕舞つた。この暑さは「異常」との気象庁のお墨付きも出たことなので、これを言ひ訳にしておきませう。ついでに現在の住処にエアコンを付けてないことも加へておきますかな。水田に囲まれた家なので、暑がりの私でも何とかなると踏んだ訳だが、今年は想定外だつたなあ。

 去年は夏がなくて、ずつと梅雨が続いた為に、箪笥の奥に仕舞ひ込んだスーツにまで黴が生えた。逆に今年は延々と続く盛夏に、元々少ない活動力が更に矮小になつて仕舞つた。加減の解らぬお天道だな。昼間はちよいと動く気になれん。尤も窮すれば通ずで、保冷剤を幾つかタオルに包んで、首に巻いたりするとなかなか宜しい。第一、昔の人は扇風機さへなかつた訳で、それでも「夏は夜・・・」とか優雅な文章を書いてゐたのだから、機械に頼らずとも何とかなる筈である。

 しかし・・・・・虫の発生には困つた。蚊ならばどうと云ふこともない、さして痒くもないし、噛み跡もすぐに消える。蚊取り線香の香りも夏の風物詩で、ノスタルジツクな気分にさへなる。ところが、猛暑の所為でノミが発生した。今年の夏の私の身体は、見るも無惨な赤い斑点だらけになつて仕舞つた。痒さは蚊の比ではないし、目立つ噛み跡も一月くらゐも残る。こいつにやられたら、女性ならば水着になれないとか、悩むのではないかな。男の足なんぞ取り敢へず頑丈であれば良いくらゐに思つてゐる私だが、幾ら何でもこれは酷いと云ふことで、ノミの対策に乗り出した。

    
        【侵攻探知】

 赤い丘のやうな噛み跡が膝下に集中してゐたら、先ずノミだと思つて間違ひない。連中は羽根を持たないが、驚異的な跳躍力があつて、人の膝くらゐまでは跳ねることが出来るのである。赤い丘が連なつてゐるのもノミの特徴で、奴らは一回噛んでも満足せずに、周辺も噛みまくる結果である。だから一匹だけでも多数の噛み跡を残す。蚊が善良に見える。

 非常に小さな生き物で、姿を確認するのは困難である。噛まれた瞬間には痛みはなくて、暫くしてから痒くなるから、更に目にする機会は少ない。丸でステルス爆撃機だな。尤も宣戦布告はしてくれない(日本人としては心が苦しいネタだが)。


    【戦闘】

 専門の業者さんに頼む方法もあるが、料金は結構高いらしい。バポナと云ふ劇薬は強力ださうだが、強いが故に扱ひが難しく、人や犬猫にまで影響が出る可能性がある。安価で確実なのはこまめな掃除で、ゆつくりと掃除機を掛けることで、畳やカーペツトのノミを吸ひ込んで仕舞ふ訳である。掃除機の中でも繁殖するから紙パツクはすぐに捨てると云ふ意見が強いが、吸ひ込まれる時に死ぬから問題ないと言ふ専門家もある。しかしこの方法では畳や布団の中に産み付けられた卵までは殺すことが出来ない。毎日掃除に時間を掛けて、生まれた側から殺しても良い訳だが、アイロンを掛けると卵まで殺すことが出来る。暑いが。

 また、ネツトで知られてゐる次の方法を試すのも良い。洗面器に水を張る。これに日本酒を200cc程、台所用洗剤を数滴加へる。この洗面器を、夜間に部屋の中央に置いて、蛍光灯で照らしておく。すると、日本酒の匂ひと蛍光灯の光に惹き付けられたノミが洗面器に飛び込んで、洗剤の作用で死んでくれると云ふ寸法である。誰が考へたのか知らぬが、知恵者だなあ。私も試して見たが、一晩に一匹くらゐは罠に掛かり、暫くは食はれることがなかつた。繰り返すが、僅か一匹でも多数の噛み跡を残すのがノミである。


        【友軍】
       
 土蜘蛛の類はノミを食べてくれる。姿は恐ろしげだが、友軍なので誤爆しないやうにしませう。
  

        【負傷者の手当】
 
 放つておけば治る訳だが、恐ろしく痒い為に自ら引つ掻き傷を作つて仕舞ふことが多い。応急にセロハンテープを貼ると痒みが止まる。空気と遮断してやると痒くないらしい。これもネツト上の然る軍師殿に教はつた方法である。

 セロハンテープは応急処置だが、治療するには海水浴が良いと云ふ。流石に命の源だな。従つて海に行かなくとも、粗塩を患部に擦り込めば宜しい訳である。私は粗塩を塗つた上にテープで固定したが、治りが早かつたと思ふ。ローカルな話になつて仕舞ふが、滑川市民交流センターの「あいらぶ湯」は海洋深層水の浴場である。奥の方に塩分濃度三パーセントの浴槽があるから、此処に入ると高い治療効果が得られる。


        【謎】
       
 ノミと云ふ生き物は、通常動物に寄生する。だから現代の日本で目にすることが多いのは犬・猫に寄生する場合である。四半世紀も以前のことになるが、先代の小雪にノミが寄生した例があつて、この時はノミ取りシヤンプーとノミ取り首輪で制圧した。富山に移つてからは、一度も発生しなかつた。その後、茜が我が家に入る訳だが、あれから四年半、此まで茜にノミが寄生したことは、目に見える形では一度もなかつた。毛が長いので発見し難いけれども、毎日のやうにブラツシングしてゐれば、ノミの姿は目につく筈である。しかし現在に至るも、一度もノミやその糞を見ない。茜も痒がらないし、皮膚に噛み跡もない。ところが、人間の方は明らかにノミの攻撃を受けてゐる。茜の身体にも隠れてゐると考へるのが自然なのだが、探しても見つからない。このことは謎だが、念の為にノミ取り液を滴下することにした。昔のノミ取り首輪ではなくて、現在ではアルコール溶液にしたものが主流で、なかなかの性能らしい。元祖の「フロントライン」(戦場の「最前戦」と云ふ意味。本当)なる薬剤が最も効果が高いさうだが、近所のスーパーで似たやうなものを入手出来たので、試しに使つて見ることにした。効果は一月続くと云ふ。


      【戦ひ終はつて】
     
 現在、私の身体は攻撃を受けてゐない。少なくとも、成虫は全滅したらしい。まだ卵が残つてゐるだらうが、これもアイロン部隊で殲滅出来ることであらう。相手は多数が命を奪はれ、こちらは暫くみつともない姿の足に引け目を感じる程度のことだから、一応当方の勝利と云ふことになる。しかしねえ、何も酷い跡が残るやうな噛み方をしなくても良ささうなものなのだがな。姿が美しいとは思へないが、別段連中に憎しみがある訳でもない。居てくれても一向に構はない。多寡の知れた血が欲しいだけなのだらうから、小さな口で刺すだけなら構はんよ。実はノミは賢い生き物で、人間ともコミユニケート出来る。前世紀には「ノミのサーカス」なんて見世物があつて、芸をする唯一の昆虫なのださうな。休戦協定とか結べないものかね。


    【浄土】

 人もノミも生態が変化して、噛み跡が残らなくなる。こちらが血液を提供する代はりにノミは必須アミノ酸を注入する。次いでにその姿は美しい蝶のものに。

能美蝶・・・こんばんは。今宵も血を分けて戴けますか。
人・・・おお、何時見ても可愛いね。たんと召し上がれ。
能美蝶・・・有り難うございます。
人・・・何の、君たちのお陰で元気が戻つたよ。

 てな関係でも差し支へはない筈なのだがな。阿弥陀如来がおいでになると云ふ極楽浄土では、きつとあらゆる生き物がこんな関係なのだらうな。南無阿弥陀仏。     

生き物・自然 comments(6)
高田豊志命




































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 写真は終戦記念日の富山県護国神社。静かだが、次々と参拝者が訪れてゐた。

 終はつて仕舞つたものを今からあれこれ難癖付けるのは易しいが、さりとて負けたものは負けた訳で、その理由なりを十分に突き詰めねば英霊も浮かばれまい。この世に生ある限り、戦はねばならぬ可能性は常に存在する。九条のお札を突き付けた処で、攻撃するかしないかは相手次第である。戦争は悲惨だが、敗戦はもつと悲惨である。何故負けたのか、負けない為にはどうすれば良いのか、さうした議論が余りなされてゐないのが気に入らない・・・・ぶつぶつ・・・などと野暮を言ふのは止めませう。本日は心静かに故人を偲んで。

 十年ほど前に「遺芳録」と云ふ書物の編集に携はつたことがある。富山県出身の戦没者の遺書や書簡を後世に遺すことが目的で、富山県護国神社の創建九十周年記念事業であつた。

 写真は富山県護国神社遺芳館に展示されてゐる資料の一部。護国神社では遺書や遺品を収集して保存してゐるが、何しろ古いものであるから、判読は困難を極める。現代では使はれない言葉も出て来る。作業は当時の情勢に詳しい西川泰彦氏が原資料を解読し、それを私が本の体裁に整へてコンピユーターに入力する分担で、栂野守雄宮司が全体を統括した。

 英霊の遺書などと云ふと深刻な印象を受けるし、確かにさう云ふ内容が多いのだけれども、第一線で戦ふ兵士たちだつて年中戦つてゐる訳ではない。中には楽しい話や笑へる話もある。作業の間、時には泣いたが時には笑ひもして、私としては大いに遣り甲斐のある楽しい仕事であつた。

 写真は高田豊志さんと云ふ方の遺された歌集。昭和十八年三月から、二十年四月に戦死するまでに認められたもので、遺芳録の四分の一ほどを占めてゐる。冒頭に次のやうにある。

      記
一 一日一首とし修養の資とす
二 之を以て遺集とす

 此処で昭和十八年三月の歌から五首を紹介する。選択は全くの私の好み。

   身はたとひ大空高く消えゆくも留めおかまし大和魂

      益荒夫や岩をも通す大和心も恋とふ事はもてあますなり

      おたよりと胸ときめかせ行けれども思ふ方より風は吹かじ
     
   朝露を貫き通す鶏に影見えそめて明にけり

   男なら燃ゆる心もあるれども空の御楯と出で立つなれば

 歌集であるから、一日一首の歌が主要部分なのだが、この後に散文が入る。

 空を見よ。果なき空を! 静けき時、只一人心ゆく迄空を見よ。暗雲も嵐もまた清月も無数の星も、慈の太陽も、何一つ云々するなく、抱括する大空。悠久より悠久に果てなき宇宙の流れを只、無情の眼も、慈愛の眼もなく、澄みたる鏡の如く、正も邪もそのまま写
す。然り正なりとて之に加し、邪なりとて之反すが如きことなし。大海の如く、清流なりとて之を擁し、泥水なりとて之の流れを防ぐことなし。移りゆく世も、盛りゆく世も、ただ大眼を以て眺む。正は正、邪は邪なりと。
 宇宙に於ける地球は一微小物に過ぎず。地球に於ける人類また同じ。其の人類の生涯、悠久の宇宙に比すれば、正に一瞬と云ふも過大なり。其の人間、僅か其の一瞬にも価せざりし生の間をすら、満足に暮す能はざる、正道を踏み、正道に生く。心に迷を生じ、心に憂を生ぜば、大空を眺むる事なり。然らば己の道翻然として悟ることと余は思ふ。
 空を友として行くべし。空は別れず。地球の果の果まで行くも、必ず良き友として、己の行くべき道を教ふるなり。悠久の宇宙の流れを眺めし心を以て日常を致さば、決して誤りはなかるべし。己の存在、今正悪何れの中にあるか迷ふ時、静かに大空を眺めよ。大空
は之に判定を下し給へるであらう。嬉しき時、淋しき時、悲しき時、泣きたき時、死にたき時、大空を眺めよ。大空はその心に対し、必ず克き教訓を、慈みを垂れたまへるならむ。

 空を主題にしてゐるのも、如何にも飛行兵らしい。しかし、彼はこの時まだ十九才、満年齢では十八才の少年である。現代に、これ程内容の深い文章を書ける十八才があるだらうか。

 高田豊志さんの遺影。これ程爽やかな顔をした男は、現代では滅多に見掛けない。

 昭和十八年四月の歌より

 国の為花と散る身の惜しからむ咲きてかひある命なりせば

 大丈夫と生きし我が身の哀れさは恋とふ事を捨つるなり

 星もなく遠く吠ゆるや犬の声淋しく来る春雨かな

 遠久に国安かれと祈る哉月に星に共に祈らむ


 昭和十八年七月の歌より

 久方に我身忘れてフイルムに心移せば平和の鐘の音

 梅雨なるも斯く迄降らずも良きものを雨止め給へ八大龍王

 観音山一鐘毎におぼろなるふりさけ見れば蛙なくなり

 あの月も父母をはす故郷の山にかかれば懐しくあり

 昭和十八年九月に「死」と題された散文がある。

余生をうけて二〇年此の間死に直面したること一回あり。後学のためと思ひ之を記す。
死に決したる時の我の頭の中は、実に空虚なるものにして、余り
にも感情の起らざるものなりき。愛機の爆音もなく、亦、死にゆく我の存在も亦鮮ならざりき。死に対する感情の余りに空虚なる之のみ感ぜり。然し果して之が真の死に対する時の感情や否や、之は余は決して判定する能はず。現に余が生きてるなるを以て。
「生は易し、死は難し」と云ふ。「生を易からず、死は易し」余は斯く云ふ。正道を取り、正道を走る。己が使命の本、敢然と死地に投ず。死地に投ずるは易し、その正道を少しの誤りもなく、死地に致る迄の生、余は之を易からずと云ふなり。
 
 愛機の隼と共に。

 高田豊志さんは少年飛行兵に志願し、東京陸軍飛行学校を経て熊谷陸軍飛行学校を卒業するが、昭和十八年十月に甲府教育隊に配属される。

 この月の歌から数首を。

 空眺め雲を眺めて嘆けども思ふ如くにならざる演習

 生れ来て願かなひし演習は何が何でもやりぬかむ
 
 天かくる我身となりし嬉しさよ父母今ぞ豊志は空に

 うき事も一度空に飛立てば忘れて励む飛行演習
 
 飛立てば秩父の峯も荒川も一度に浮きて近づくなり
 
 来る日も過てゆく日も操縦の出来た出来ぬの話のみなり

 甲府に転属となつて演習時間が増えたのか、この月は飛行演習の歌が多い。次に山梨の印象を。

 之がまあ俺が住家か山ばかり

 空眺め富士を眺めて思ふ哉はるばる来た哉山梨の山へ

 何回ぞ廻りて山を眺むれど何処の果も山ばかりなり
 
 山梨の名とは異なり山ばかり山の都の甲府なる哉
 
 くらべなき尊き富士の峯ぞかし八洲の国の柱なるかな
 
 一朝と白くなる哉富士の峯空の御楯と学びを見守る

 朝毎に化粧するなり富士の峯

 しら雪のかゝれる富士を見る毎に偲ぶは郷里の立山なり

 昭和十九年の歌を各月から一首づつ。

 大空に励む我等の翼にぞ祖国を守る使命ぞありける (一月)

 いつはりと飾りばかりの世の中に誠ばかりが味方なりけり (二月)

 村人の厚き好意を無駄にせず勉むぞ道に敵撃滅に (三月)

 三月末に朝鮮一〇三部隊に転属となる。

 四月と云ふも北の朝鮮は其の名に恥ぢずふるなり白雪 (四月)
 
 ふる里のにほひのせたる此の便り思出わきつ幼心の (五月)

 六月には台湾一八九六八部隊に転属になつたらしい。

 大空に一輪散りしますらをの御たまぞ永久に国を守らむ (六月)

 憧れと希望かなひて今こそぞ乗る隼の爆音快し (七月)

 久方の友のたよりのなつかしく思ひ出す毎涙出づなり (八月)

 気長にも魚の影を追ひ廻し土橋の上を行つたり来たり (九月)

 梅匂ふ社の御前にぬかづきて国安かれと祈りてしがな    (十月)

 死ぬのみが誠の道にあらざるなり己が責を果すぞ道なる    (十一月)

 国の為花と散るこそ楽しけれ男と生れし此の身なりせば  (十二月)

 
 翌昭和二十年四月、高田豊志さんは特攻隊として出撃し、沖縄本島西海岸沖にて、米艦艇に体当たりして戦死する。以下に最後の手紙を掲載する。

お父上様今愈々お別れの時が来ました。少しなりとお役に立つて死ねる事を豊志は最大の幸福と思ひ喜んで死んで行きます。今お別れの歌が不味いけど出来ましたのでお別れのしるしに残して置きます。
海山に劣らぬ親の厚恩に今ぞ報へむ国の為散り(お父様)
夢にだに忘れぬ母の涙をばいだきて三途の橋を渡らむ(お母様)
国の為散りにし兄をしのびては頼むぞ後の家のほまれを(登)
共々に手を取りあつて国の為散るべき日をぞ待つぞあの世ぞ(実)
身の栄富の誇りが為ならず祖国ありてぞ身が立つぞかし(寿美子)
何事も心に思ひ悩む時母ぞ憶べし慈しき母を(紀美子)
なつかしきやさしき妹よこの兄の散りにし後は頼むぞ母を(広子)
おやさしき我が祖母様よお先にて三途の河の浅瀬知らせむ(祖母様)
祖母様の常の教の念仏をあの世の旅の杖とし行かむ(小院瀬見祖母様)
幼なきの思出深き爺様のもとで待ちます一足先に(誠一郎様)
たのしみの少なき祖母を念仏で導き給へ才川坊(お寺の奥さん)
叔母様のお体あの世で祈りますいつも病気のそのお体を(京都の叔母さん)
お姉さん富山の駅の思出もあの世の話にとつときます(富山の叔母様)

今に弟の二人共豊志の後に続き共に国の為死んで呉れる事を最大の願として行きます。お母様お体大切に。
                    豊志二十一才

     父上様
しきしまの大和心を一ひらに
       こめて散りゆく若桜花

 
 写真は「いでたちの舞」。最後の手紙の中で御母堂に宛てた「夢にだに忘れぬ母の涙をばいだきて三途の橋を渡らむ」を主題にしてゐる。上の歌を栂野宮司が補作し、翁雅楽会の牧田明子会長が旋律と振付を施したもの。舞ふのは轡田権禰宜。富山県護国神社のみたままつりでは、高田豊志命を偲んで毎年奉奏される。


歴史 comments(4)
盂蘭盆に寄せて













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 いや、それにしても暑いですな。これだけ続くと流石に疲れが溜まつて何をするにも気力が失せて仕舞ふ。扇風機もなかつた昔の人はどうやつて過ごしてゐたのでせうね。

 画像は先日訪れた高岡市の瑞龍寺。夏と冬の二ー三日の間、このやうにライト・アツプされる。富山県唯一の国宝と云ふことで、大いに観光地化されてゐる訳で、私の感覚では「観光地化」と云ふのは、騒々しいだの低俗だの、散々なイメージしかないのだが、不思議と瑞龍寺は何時参拝しても美しい印象を遺してくれる。ライト・アツプされた姿を拝んだのは初めてのことだが、期間中二万人だか三万人だかの人が訪れるにも拘はらず、いつもと変はらぬ落ち着いた姿であつた。瑞龍寺の沿革を説明するナレーシヨンも名刹に相応しいもので(女優さんなのだがお名前を失念した)、矢張り拝観して良かつたと思つた。

 賢明なことだと思ふが撮影場所が指定されてゐる。アングルを余り選べない訳だが、日頃は此の山門の上層は開いてゐない。釈迦如来と十六羅漢の像が鎮座するのだが、遠目にしても拝むのは、この日が初めてのことであつた。

 さて、お盆である。恐らくは、最も広く我が国に浸透した仏教行事であらう。尤も、お釈迦さまの教へに、祖霊が還つて来るなどと云ふ思想は全然なくて、古代支那で付け加へられた要素と云ふのが本当の処らしい。其れが我が国に伝来したが、我が国では元々祖霊を尊ぶ風土があつたから、抵抗なく受け入れられた訳である。実際に我が国の古い習慣では、七月十五日と大晦日(勿論旧暦)に魂祭りと云ふのがあつて、この世に戻つて来た祖霊と交流してゐた。この内の七月十五日が中国伝来の仏教と結合して、現在の盂蘭盆になつたらしい。

 昔の人は大晦日にも祖霊と逢つてゐた訳で、その古い形が日本霊異記に伝へられてゐる。本日は瑞龍寺を背景に、その説話を。

 高句麗の学僧の道登は、元興寺の修行僧であつた。山背の恵満と云ふ人の家の出であつた。去る大化二年のことである。宇治川に橋を架けようと毎日通つてゐた。すると奈良山の谷間に髑髏があつて、道行く人や動物に踏みつけられてゐる。道登はこれを哀れに思つて、従者の万呂に命じて木の上に置かせた。

 同じ年の大晦日の夕方のこと、或る人が寺の門に来て言ふ。
 「道登さまの従者の万呂さまと云ふ方にお逢ひしたいのです」
 万呂が出て来て逢つて見ると、次のやうに言ふ。
 「御坊の慈しみを戴き、心安らかになることが出来ました。ところで、今夜でなくては御恩に報いることが出来ないのです」
 そのまま万呂を連れて或る家に行つた。門扉は閉ぢてゐたが、どんな霊力なのか、通り抜けることが出来た。其処で万呂は手厚くもてなされた。主は自分の食べ物も万呂に分けて、自分も一緒に食べた。

 夜明け近くになると、万呂に向かつて言ふ。
 「もうぢき私を殺した兄が来ます。早々においとませねばなりません」
 万呂が不思議に思つて尋ねると次のやうに答へた。
 「昔、兄と共に行商をしてゐたのです。私は四十斤ばかりの銀を得たのですが、それを兄が嫉んで私を殺して銀を奪つたのです。それから長い時が流れました。往来する人も獣も、皆私の頭を踏んで行きます。御坊が情けを掛けて下さり、苦しみを逃れることが出来ましたので、其の恩に報いようと今夜お出で戴いたのです」

 髑髏の霊が姿を消すと、その母親と長男がやつて来た。大晦日の魂祭りで、先祖の霊を拝まうと此の家にやつて来たのであつた。万呂の姿を認めると、驚いて畏まり、此処に居る訳を尋ねた。万呂が先ほどの出来事を詳しく話して聞かせると、母親は大いに怒つて長男を罵つた。
 「ああ、私のあの子はお前に殺されたのか。盗賊ではなかつたのか」
 母親は万呂を拝み、更に飲食を設けてもてなした。万呂は寺に戻つて、以上を師の道登に報告した。

 一体に、死霊や白骨でさへ、矢張りこの通り恩を忘れぬものである。況して生きてゐる人間が、どうして恩を忘れて良いものであらうか。


古典 comments(2)
みたままつり
































 


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 暑いですな。これだけ毎日続くと「こら神、いい加減にせんかい」とか叫びたくなる訳であるが、カビだらけにならない分、去年の長過ぎる梅雨よりはまだマシだと思ふ。「近頃のお前らの不信心がいかん」などと、雷神に説経喰らふのかも知れないが。

 それはさておき、毎年八月一日になると富山県護国神社の境内で様々の催しがある。午前九時からは、富山市少年相撲大会、十時から鎮霊神社例大祭、十時半からみたま祭り、夜は七時から御神楽の夕べと続き、八時には神通川の花火大会になる。レンズも色々な種類のものを持参する訳だが、この炎天下、自転車で出掛けたのは一寸無謀だつたかも知れん。

 鎮霊(しづたま)神社例大祭に先立つて、お浄めのお水を受ける参列者。鎮霊神社と云ふのは富山県護国神社の摂社で、同じ境内に鎮座する。護国神社が戦歿者を祀るのに対して、鎮霊神社は非戦闘員で亡くなつた方をお祀りする。祀られてゐる多くの御霊は、第二次大戦中の富山大空襲の時に亡くなつた方のものである。

 非戦闘員を狙ひ打ちした米軍機の行動は明白に国際法違反であり、国際法廷で裁かれるべきは当時の米軍の指導者である。しかし、勝てば官軍、何もお咎めはなしで、逆に我が国の軍人が処刑される始末、残念ながら「国際社会」の常識はこの程度のものである。戦争は悲惨だが、負け戦はずつと悲惨である。「二度と過ちは繰り返しません」も結構だが、「二度と敗戦は繰り返しません」が本当だと思ふのだがな。

 画像は鎮霊神社にて玉串を捧げる参列者。物凄い日差しで、フジの広いダイナミツクレンジでも明部が飛んで仕舞ふ。こちらも参つたが、参列の皆さんも暑かつたことだらうな。

 続いてみたま祭り。「みたま祭り」と表記されることが多いが、漢字にすれば「御霊祭り」であらう。戦没者を慰霊する祭りで、靖国神社や護国神社で斎行される。画像は大拝殿にてお祓ひを受ける参列者。

 私はRAWでしか撮らない訳だが、実はこの画像だけJPEGのNormalになつてゐる。バツグに出し入れしたり首から肩に掛け替へたりしてゐる内に、ボタンを押して仕舞つたらしい。S2のボタンでよくもそんな事が起きたものだ。やけに書き込み速度が速いので気付いたのだが、恐ろしい。これだけはA5にもならない。

 宮司様による祝詞奏上。矢張りこのシーンがないと締まらない。

 S2に30mmF1.4の取り合はせであるが、開放で使つてゐるにも拘はらず、適度な範囲にピントが合ふ。全く有難い。シグマさん、これからも凄い製品をお願ひしますよ。

 奉奏される「出立ちの舞」。富山県護国神社であるから、富山県出身の戦没者が祀られてゐる訳である。そのお一人に高田豊志さんと云ふ方がある。第二次大戦中に米艦船に特攻攻撃を掛けて戦死された御英霊だが、この方の遺された和歌に、当社が旋律と振付を付けて舞としたのが、此の「出立ちの舞」である。詰まり「出立ち」とは、生きて帰る見込みのない攻撃に出で立つことを指している。それだけに、男性的なきりりとした舞であるが、悲壮な決意をも感じさせる。

 舞方はいつもの当社の神主さん。猛暑の中、この装束はこたへるであらうな。お疲れさまでした。 

 続いて藤間流日本舞踊による舞の奉納。

 矢張りかう云ふのは若い女性でないと絵にならん。それにしても浪花節調の音楽にはどうも違和感がある。フアンの方には申し訳ないが、私には演歌や浪花節がどうしても日本の伝統音楽に感じられない。雅楽と全然違ふし。先日亡くなつた姫神さんや吉田兄弟の音楽にして欲しい処である。それから何度も書いたやうに、のぞみまつきさんと初音ミクの取り合はせは、真に我が国の伝統美だと思ふ。宮司さんに進言して見ようかな。

 式典終了後の献灯。

 蝋燭の炎の御霊の如く。
 
 みたま祭りの斎行自体は昼に行はれる訳だが、矢張り夜の境内こそ雰囲気がある。どなたが考へたものか知らぬが、奉納された行燈がずつと続く情景は誠に美しい。「みたま」を具現化したらこんな図になるのだらうな。

 続いて御神楽の夕べ。

 ううむ、美しい。神楽は「みたまなごめの舞」、漢字で表記すれば「御霊和め」であらう。歌は香淳皇后の御歌で、「やすらかに ねむれとぞおもふ 君のため いのちささげし ますらをのとも」。舞ふのは当社専属の巫女さん、演奏も当社の神主さんたちである。

 「出立ちの舞」が再び奉納される。一日に二度の奏演、誠にお疲れさまです。

 これはS2に30mmF1.4。二世代前のカメラだが、これ程深みのある色を出す機種は現行機でも余りないと思ふ。新しければ善いと云ふものではないね。

 最後に「浦安の舞」が奉納される。歌は昭和天皇御製で、「天地の 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」。

 今年の舞姫は何と小学五年生。十数年撮らせて戴いてゐるが、私の知る限りでは最年少である。よく舞はれましたね。

 尚、「浦安国」とは我が国の美称。「心安らかな平和の国」と云ふほどの意味。浦安の舞は太平の世を願ふ舞なのである。

 舞が終了して献灯。

 花火見物を兼ねてゐる為か、和服姿の参拝者も多い。

 お待ちかねの花火。夜八時から九時頃まで打ち上げられる。

 考へて見ると凄い技術だな。こんなことが江戸時代に出来たとはね。尤も、今日のやうな花火の起源はイタリア辺りにあるらしい。しかし、花火好きの江戸庶民のイメージは本当のことで、すつかり我が国の夏の風物詩になつて仕舞つた。目出度いことであるな。

 最後に「叶灯」を。この床面に置かれる行燈は、富山県護国神社独自のもの。願ひ事が叶ふ行燈です。奮つてご献灯下さい。

神社仏閣 comments(4)
小国寡民

 













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 小国寡民、使有什伯之器、而不用、
 使民重死不遠徒、
 雖有舟輿、無所乗之、
 雖有甲兵、無所陳之。
 使人復結縄而用之、
 甘其食、美其服、
 安其居、楽其俗、
 隣国相望、雞犬之声相聞、
 民至老死、不相往来

 敬愛する老子の一節。折角なので訓点と送り仮名を入れて見た。web上では画像で表現する他ないからね。以下は書き下し文。

 小国寡民、什伯の器有りて、而も用ゐざらしめ、民をして死を重んじて遠く徒らず、舟輿有りと雖も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所無からしむ。人をして復た縄を結びて之を用ゐ、其の食を甘しとし、その服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しみ、隣国相望み、雞犬の声相聞こゆるも、民、老死に至るまで、相往来せざらしむ。

 「什伯の器」と云ふのは非常に優れた道具のこと。転じて優れた人材のことを指す。優れた人材があつても、重く用ゐることをしない、と言つてゐるのである。「舟輿」の「輿」とは車のこと。即ち舟輿とは広く乗り物を指す。「甲兵」とは武器と兵。詰まり軍隊。「縄を結びて」とは、文字がなかつた頃の意志伝達のことを言つてゐる。技術革新を求めない訳である。以下は通釈。

 国は小さく民は少ない方が良い。優れた人材であつても重く用ゐられる訳でもない。民の命を大事にして遠くには行かせない。乗り物があつても使ふことはないし、軍隊があつても戦う必要がない。人々は古い時代に戻つて暮らしてゐて、その食べ物を味はひ、その服を悦び、その住処に満足し、その習俗を楽しんでゐる。隣に国があつて、鶏や犬の声が聞こえても、民は生涯行き来することもない。


 老子のこの章は、一口に云へば自己満足、自己に満足出来る精神こそ悟りの境地であり、さうした精神の造り出す国家が理想の国家であると主張する。人は常に自分の存在なり価値なりに不安を覚えてゐる生き物である。だからこそ自分の外にある、一見確かに見える存在に依存する。それが高価な道具だつたり、身分だつたりする訳だが、勿論それは自分自身ではない。自分でないものを恰も自分であるかのやうに信じ込んでゐるだけの話である。心の奥ではその欺瞞に気付いてゐるからこそ、次から次へと新しい何かを求めるけれども、永遠に満たされることはない。人間の社会生活とやらは、その程度のことで回つてゐる。もし欺瞞に気付けば、「什伯の器有りて、而も用ゐざらしめ」る形を取るであらう。

 自己に満足出来ない、自分の存在を認めて欲しい、それが動機で人は争ふ。自分が優越してゐることを無理にでも示さねば気が済まない。しかし、自分の世界に満足出来るものならば、他者を攻撃する必要もない。さうした国は、「甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所無からしむ」ことであらう。本当ならば鎖国を続ければ善かつたと思ふ。しかし、産業革命のお陰で七つの海は移動の妨げでは無くなつて仕舞つた。こちらが付き合ひたくなくとも、向かうからやつて来る。肉体を持つ存在である以上、武器で脅されれば付き合ふ他はない。「舟輿有りと雖も、之に乗る所無く」では済まされなくなつて仕舞つた。ヨーロツパ文明が「道教文明」だつたならば、世界はさぞかし平穏だつたことであらう。

 技術の進歩は幸と同時に不幸をもたらす。蒸気機関など発明されなければ、世界各国は植民地化されず、大規模な戦争も起きなかつた。現代の失業問題にした処で、今すぐコスト削減の為の機械化を止めれば一度に解決する話である。「人をして復た縄を結びて之を用ゐ」とは此の事情を指す。遥かな昔に老子は見抜いてゐるのである。誠の賢人は時を超える。

 自分たちの文明も満足に育てられぬ一方で、異国を思慕するのは欺瞞である。隣国だからと云つて、余り近付かぬが良い。日韓併合は両国民にとつて大いなる不幸であつた筈である。「隣国相望み、雞犬の声相聞こゆるも、民、老死に至るまで、相往来せざらしむ」が理想だが、それが無理ならば、貿易で共栄を計るくらゐが善い。無理に「友好」を造り出せば再び不幸が起きる。相互不干渉、この簡単な言葉さへ実行出来れば戦争は根絶する。自己に満足出来る者は他者を攻撃することはない。愛情と憎悪は紙一重である。
 
 尤も、現代の社会システムが既に競争原理で構築されて仕舞つてゐる以上、老荘思想にかぶれてゐたのでは自分の生命さへ保てまい。しかし、加速する世の流れを相対化し、それに溺れぬやう注意を払ふことは出来るであらう。大体に於いて絶対化は宜しくない。大抵の物事は相対化して眺めるのが知恵と云ふものだと私は思ふ訳である。


古典 comments(0)
横江の虫送り




















 


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 矢張り夏は夜。祭りの写真が増える。去年に続いて今年も横江の虫送りを訪ねた。田の害虫を追ひ払ふ行事と云ふことだが、恐らくはより広く、村に不幸を齎すやうな怨念や邪霊の類をあの世に送り届ける祭礼だったのではないかと想像する。激しい太鼓の音は遠くまで響き渡るが、田の畦を進む姿は寧ろ静謐を想はせる。

 尚、去年の記事はこちらです→ http://yuhoroku.jugem.jp/?eid=135

  こちらも再び、こじろうさん登場。初めての時は警戒してゐたのだが、二回目の今日はすつかり歓迎ムードである。賢いな。茜も少し見習つて欲しいものだが。

 静謐を想はせる情景も夜が深まるに連れ、気分が高揚して行く。うむ、このくらゐでないと横江の虫送りではないな・・・などと、二回目になるとこちらもすつかり訳知り顔になる。

 雨の降りさうな夜になるのが例年ださうで、確かに去年もそんな天候であつた。ところが今年は盛夏の気温である。加へて火を使ふ祭りであるから、何しろ暑い。二時間ほどの行程で、私も相当にエネルギーを消費した。

 祭礼の中心になる宇佐八幡神社には、此のやうな句碑がある。漢字が戦後の新字体なので、古いものではあるまい。しかし、此の祭りが十七文字に能く集約されてゐると思ふ。「火縄文字」とは次の写真のことであらう。

 祭りもクライマツクスを迎へようとしてゐる。火縄文字が燃え尽きる頃、若衆たちは一斉に宇佐八幡社境内に向けて走り出す。

 よくもこんなものを担いで走るわ。まだまだ若い者に負けられん、とかでこちらも遣りたくなる熱気である。

 それにしても、これだけ激しい祭りである。事故が心配になる。今までは不思議に事故が起きなかつたさうで、矢張り宇佐八幡神のご加護なのかな。

 境内で叩く最後の太鼓。去年と同じやうな構図だが、他に適当なアングルを取れる場所が見つからぬ。不遜にも、お社の石垣によじ登つて撮つてゐる。宇佐八幡の神よ、この時ばかりはお許しあれ。

 去年は初めてだつたのでズームで撮影した。開放でもF2.8だから、ISO3200でも光量が不足した。今年は30mmF1.4であるから、ISO1600でも十分な光量を確保出来た。頼りになるレンズよ。さして進歩はないが、去年よりノイズが少ないのは間違ひないな。

 帰りに宮本さんに戴いたお土産。ミナミヌマエビと云ふさうな。僅か一年の寿命だが、繁殖力が強くて彼のお宅では水槽が手狭になつて仕舞つた。苔を主食にしてゐる大人しい生き物で、水槽を掃除してくれる処が喜ばれるらしい。古来我が国に棲むエビで、野生種は減つてゐると云ふから、此処で大いに繁殖して貰つて、行田公園にでも放しますかな。 

街角・人里 comments(4)
龍宮祭り























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 梅雨が明けたと思つたら凄まじい暑さである。先が思ひ遣られるな。しかしこの季節、あちこちで催される祭礼は誠に風情のあるもの。地元滑川市の、その名も「龍宮祭り」と聴いては、お世辞にも社交的とは言へない私でもふらふらと出掛けたくなる。

 画像は一日目の「古代神踊り」街流しの様子。主要な会場の「ほたるいかミユージアム」まで延々と踊りの列が続く。レンズはシグマ30mmF1.4。この状況でもISO800で手持ちが可能である。全くよく働いてくれるレンズで手放せない。発色の傾向だが、ご覧のやうに青が非常に鮮やかに出る。

 一日目の私の目当てが此れ。新川古代神踊り保存会による古代神踊りである。松明を両手にしての激しい踊りは誠に勇壮で迫力がある(危ないので良い子は真似しないでね)。歌詞の中に由緒が歌ひ込まれてゐて、三百年前に「古代神」と云ふ名の坊さんが松明を持つて始めた踊りなのださうな。「古代神」とは妙な名で、もつと詳しく調べたかつたのだが、生憎図書館が開いてゐる時間を寝過ごして仕舞つた。この暑さが如何な。レンズはシグマ50-150mmF2.8。ISO800に絞り開放でも1/15秒、手持ちはちよいと無理。

 女性の舞方は手拭ひや扇子を持つて舞ふ。松明の印象が強烈だつただけに、もう少し目立つものを手にしたい処だが、昔は電気で光る道具なんてなかつただらうし、伝統の方式を変へる訳にも行くまい。今も昔も、ジエントルマンならばご婦人に危ない真似はさせられん。

 さう思ひきや、ラストは総勢八人の舞方で皆松明を持つてゐる。レンズは30mmF1.4に変へてゐるからISO400でも手持ち撮影。シヤツタースピードを1/15秒にしたのは動感を表現したかつたからだが、このシヨツトでは1/8秒で良かつたと思ふ。仕事でないから適当だな。一層のことルミを連れて行つて(彼女には違ひないが人間ではありません。公式名はLumixFP8)、動画を撮れば良かつたかも知れない。尤も、この暗さでは動画専用機でないと無理かな。

 会場周辺には夜店が並ぶ。お決まりの光景だが、矢張り欠くことの出来ない風物詩であらう。

 この画像も30mmF1.4。スローシヤツターの為に歩いてゐる人物でもブレる。それを良しとするか否かは表現の意図次第。

 自衛隊の展示会があつた。滑川には基地はないと思ふが、恐らくあちこちの祭りに協力してゐるのであらう。暑い中、公務ご苦労さま。しかし愛される国軍を目指すなら、米軍みたいに民間に払ひ下げて戴けないものかねえ。ジープの部品の供給が止まつて、乗れなくなつて仕舞つたら一体どうしろと? ジムニーでも悪くないけど、矢張り七三式小型トラツクが欲しい。

 一日目の帰り道。静けさが街を包む。

 龍宮祭りは、毎年七月十七・十八日の正午頃から夜八時過ぎまで開催される。市の中心部は交通規制されるが、自転車ならば歩行者と同じ扱ひで、何処にでも入れる。全く善い乗り物であるな。

 二日目の「よさこい滑川」の様子。「よさこい」などと聞くと、どうにも流行り過ぎてゐて、要するに、目立つことをする→人が集まる→カネになるだらうな、くらゐの白けた感覚でゐたのだが、実際目にすると、此が中々どうして楽しい。和太鼓をフユーチヤーした音楽は祭りに相応しいもので、若い踊り手の衣装や動きも、伝統を意識しながら現代風に洗練されてゐる。後方で巨大な旗を振つてゐるが、これは奏演中ずつと続けられる。力自慢の若者には打つて付けの役割であるな。

 古代神踊りと花火が目当てだつたのだが、来年はもう少し長く居座つて見ますかな。

 二日目の会場周辺。市内の三万人の人口がすべて集まつたのではないかと思ふくらゐの賑はひで、自転車は勿論押して歩いてゐる。しかし、大都市の祭りとは違つて、あれは駄目、此れも駄目と云つたぎすぎすした規則はない。皆が寛いで楽しんでゐる。開放的であるけれども、逸脱した行動を取る者もない。

 私は都会育ちであるからよく解る。伝統が解体した仕舞つた都会と違つて、地方には長く生き続ける「黙契」が存在する。だから小五月蝿い規則で縛る必要が余りない。明治以降の「近代化」とは、歴史の否定の側面を持つ。利益と利益がぶつかり合ふ異国の文明と我が国の風土で自然に出来上がつた文明と、どちらが暮らし易いか、改めて考へ直しても良からう。

 祭りの最後を彩る花火。海上で打ち上げられる為に事故の恐れが少なく、正三尺玉と呼ばれる巨大な花火が夜空に舞ふ。

 いやはや、全く滑川は良い処であるな。

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 画像は去年のもので、高岡市戸出の七夕祭りのもの。結局今年は七夕を撮る機会に恵まれなかつた。然し折角なので、七夕に関する話を。既に七日は過ぎて仕舞つたけれども。

 万葉集巻十に秋雑歌の一節がある。其の中に七夕(しちせき)と云ふ項目があつて、七夕の歌が集められてゐる。本日はその紹介などを。九十八首もあるから一部だけになるけれども。矢張り古典の世界はほつとする。生まれる時代を間違へたなあ。

 
 赤らひく 色ぐはし子を しば見れば 人妻ゆゑに 我れ恋ひぬべし (一九九九)

 人間が織姫に恋をしてゐる歌。自分も神秘系に弱いので共感して仕舞つた(ははは・・・)。「赤らひく」は枕詞で、「日」や「肌」に掛かる。「色」は此処では器量。「くはし」は広く美しさを表す言葉で、「かぐはし」とか「はなぐはし」のやうに用いる。「色ぐはし子を」は「姿美しいあなたを」とでも訳せば良いだらうか。「ゆゑに」は現代語では順接の意味だが、古語には逆接もあつて、「人妻ゆゑに」は「人妻なのに」の意。「ぬべし」は確述用法(入試頻出)で、「きつと・・・するだらう」の意味。

 
 ひさかたの 天つしるしと 水無(みな)し川 隔てて置きし 神代(かむよ)し恨めし (二〇〇七)

 さうさう、悪いのはすべて造物主。例によつてトマホークでもぶち込んでやるか。「ひさかたの」は枕詞で「光」「天」「都」などに掛かる。「つ」は上代語の格助詞で、連体修飾語を作る。「天つしるし」は「天の印」。「水無し川」とは、此処では勿論天の川のこと。「と」は格助詞で「・・・のやうな」の意味があるから、「天つしるしと水無し川」は、「天の印のやうな天の川」とでも訳せば良いだらうか。「神代」とは、夫妻を離ればなれにして仕舞つた古の事情を指すのであらう。


 白玉の 五百(いほ)つ集ひを解きもみず 我れは寝かてぬ 逢はむ日待つに (二〇一二)

 「五百」は数が多いことを示す。「集ひ」は一つの緒に貫き通したものを指すから、「白玉の五百つ集ひ」とは「白玉を沢山貫き通したもの」と云ふことになる。首飾りかな。「寝かてぬ」の「かて」は「克つ」の未然形で「出来る」の意。「ぬ」は打消の助動詞だから、「寝かてぬ」は「寝ることが出来ない」の意味になる。織姫の眠れない夜。


 さ寝そめて いくだもあらねば 白栲(しろたへ)の 帯乞ふべしや 恋も過ぎねば (二〇二三)

 色つぽい織姫。「さ寝」は「共寝する」の意味。「そめて」は「染めて」ではなくて、「初めて」の方。「いくだ」は「どれほども」の意。「白栲の」は枕詞で、「衣」や「袖」に掛かる。「栲」とは楮で造つた布である。「べし」には多くの意味があって、推量・意志・当然・適当・命令・可能になる(受験生は全部覚えませう)。此処では意志で、「帯乞ふべしや」は「帯を渡してくれと言ふのですか」くらゐの意味。「ば」は通常、順接の仮定条件を表すが、打消の助動詞「ず」の已然形「ね」に接続して、逆接の確定条件を表すことがある。「恋も過ぎねば」は、「まだ愛しく思ふ気持ちも収まりませんのに」くらゐの意。全体の意味は「共寝してからまだ幾らも経つてゐないのに、あなたは帯を渡せと仰るのですか。私の恋心は未だに激しく燃えてゐると云ふのに」くらゐになる。


 白雲の 五百重(いほへ)に隠り 遠くとも 宵さらず見む 妹があたりは (二〇二六)

 遥かな妻の居所を望見する牽牛。「五百重」とは矢張り数が多いことの喩へ。二句までは「白雲が幾重に重なつて隠れてゐても」くらゐ。「宵さらず」は「宵にはいつも」の意味。「妹」は勿論、男性が女性に愛情を込めて呼ぶ言葉。逆は「妹背・妹兄」(いもせ)。受験生は絶対に覚えませう。


 彦星(ひこほし)と 織姫(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふ 天の川門(かはと)に波立つなゆめ (二〇四〇)

 二人が無事に逢へるやうに祈る地上の人。「川門」は渡し場のこと。


 天の川 川門(かはと)に立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き待たむ (二〇四八)

 「ます」は「坐す」で、上代に広く用ひられた尊敬の動詞である。「来ます」は「ゐらつしやる」の意味になる。その下の「なり」は入試頻出。助動詞の「なり」には断定と伝聞の二つがある。前者は体言・体言相当語句または活用語の連体形に接続する。後者は終止形(ラ変では連体形)に接続する。しかし「ます」は終止形も連体形も「ます」であるから、識別は解釈次第と云ふことになる。難問だな。しかし、恋の歌に「・・・である」とかは可笑しい。断定ではムードに欠けるな。伝聞の「なり」は「・・・ださうだ」は固より、もつと広く聴覚で知つた事情を表す。近付く舟の気配を織姫が感じてゐると解釈する方が浪漫的で美しい映像になる。「君来ますなり」と歌ふ織姫は、櫓の音を聴いてゐるのであらう。霧立つ水面を見つめながら。「紐解き」は「衣の紐を解き」の意。


 月重ね 我が思ふ妹に 逢へる夜は 今し七夜を 継ぎこせぬかも (二〇五七)

 牽牛の願ひ。「七」は数が多いことを表す。「継ぎ」は「続く」の意。「こせ」は上代に使はれた願望の助動詞で、「ぬかも」も願望を表す連語。「今この夜がずつと続いて欲しい」と願つてゐるのである。


 月日おき 逢ひてしあれば 別れまく 惜しかる君は 明日さへもがも (二〇六六)

 「まく」は上代語で「・・・のこと」の意味。此処で云ふ「明日」は「今夜」を指す。日没から一日が始まると云ふ考へ方である(入試には絶対出ない)。昔の人は夜行性とまでは行かないまでも、現代人よりもずつと夜に親しんでゐたやうに思ふ。陰暦は月の運行で暦を造る訳で、説話集などでも夜のシーンが多い(私も基本的に夜行性だが)。「もがも」も上代語で、実現困難な事項についての願望を表す。「別れることが惜しいあなた、今夜もゐて下されば善いのに」くらゐの意味になる。勿論、織姫の歌。


 天の川 瀬ごとに幣を たてまつる 心は君を 幸(さき)く来ませと (二〇六九)

 「幣」は神に願ひごとをする時に供へるもので、上代には麻や木綿(ゆう)をその侭用ひた。「幸く」は「無事に」の意味の副詞。「来ませ」の「ませ」は、再び尊敬を表す動詞で、命令形。「どうか無事においで下さい」と云ふ織姫の願ひである。


 織姫(たなばた)の 今夜(こよひ)逢ひなば 常のごと 明日を隔てて 年は長けむ (二〇八〇)

 地上の人間が同情してゐる。「ごと」は比況の助動詞で、和歌に多く用ひられた。「常のごと」は「いつものやうに」の意味。「年」は「一年」の意味にも「その年」の意味にもなるが、此処では七夕の話だから「一年」。最後の「けむ」は過去推量の助動詞ではない。「今夜逢へば明日を境に一年は・・・」だから、「長かつただらうに」では可笑しい。一般に形容詞の活用はク活用とシク活用で、その未然形の語尾は、それぞれ「く・から」「しく・しから」になる筈である。ところが万葉集などには未然形が「け」「しけ」になる例があつて、「長け」は此の例になる(入試には絶対出ない)。「む」は推量の助動詞だから、「長けむ」は「長いことだらうな」の意味になる。


 渡り守 舟出(ふなで)し出でむ 今夜(こよひ)のみ 相見て後は 逢はじものかも (二〇八七)

 牽牛の帰路。「渡り守」は「渡し守」。「出でむ」の「む」は意志の助動詞。「逢はじ」の「じ」は打消推量の助動詞。「ものかも」は強い反語。「今夜限りで逢へないなんてことがあるだらうか、いや決してそんなことはない」になる。


 我が隠せる 楫棹(かぢさを)なくて 渡り守 舟貸さめやも しましはあり待て (二〇八八)

 引き留める織姫である。「舟貸さめやも」の「め」は推量の助動詞の已然形で、その下の「やも」は已然形に接続して疑問・反語を表す。勿論此処では反語で、「渡し守も舟を貸すでせうか、いやきつと貸さないことでせう」の意味になる。「しまし」は上代語で「暫し」の意味。「楫・棹を隠して仕舞ひました。暫く此処にゐて待つて下さいませんか」と言つてゐるのである。

 

 尚、万葉集原典はすべて漢字で表記されてゐる(勿論私なんぞには読めない)。漢字仮名交じり文は「新潮日本古典集成 万葉集三」に依つた。解説は私が付けたものなので誤りがあるかも知れません。

 ところで、今日は平成二十二年の七月八日。七夕を過ぎて仕舞つてゐる。行動がいつも遅いのだな、自分は。尤も太陰暦では五月二十七日になるさうな。織姫も牽牛も当然、陰暦で行動してゐる筈で、地上の七夕を見てこんな会話を交はしてゐるのかも知れない。

 牽牛 「まだ五月だと云ふのに何やつとるんぢや、あいつらは」
 織姫 「あの者たちは私たちをネタにして遊んでるだけなんですのよ」
   

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